お彼岸ですね。今日は祖父のお墓参りに行ってきました。ここで言う祖父は、私の母のお父さんにあたる人で、神戸市東灘区の魚崎に住んでいました。ちなみに祖母は今も魚崎で元気にやっています。
祖父は東灘に生まれ、東灘で育った生粋の東灘っ子。「東灘は日本全国で知られるお酒や甘味が誕生した地で、谷崎文学や白鶴の嘉納家でも有名な地なんだ」とよく話してくれました。(この東灘区に住みたい!というサイトに書かれているようなことを祖父はよく話してくれました)
東灘区は日本酒の有名な産地の一つで「灘五郷」と呼ばれています。「灘五郷」の中に祖父の地元「魚崎郷」があり、祖父は地元のお酒を特に好んで飲んでいたそうです。私が高校生の時、祖母の夕食作りを手伝っていると祖母は日本酒を料理に使ったので「料理酒じゃなくていいの?」と質問すると「魚崎郷のお酒は普段口にしている水で作られているから料理によく馴染むのよ」と言い、祖父も「そうだ。魚崎の酒は普段口にする水で出来ているから体にすーっと入っていく」と言い、なるほどな~と感心したエピソードがあります。しかし、この時の祖父はお酒を辞めていました。祖父がお酒を辞めたのは、私が2歳になったばかりの頃、誤って祖父のお酒を飲んでしまったのがきっかけです。
私は全然覚えていないのですが、後から聞いた話によると、祖母が夕食の支度をしている間に祖父は晩酌をしており、近所の人が回覧板か何かを持ってきたので、祖父は少しの間席を外しました。戻ると私がおちょこを持っており、祖父の目の前でお酒を飲んだそうです。大慌てで吐かせて、病院に行ったので大事には至りませんでしたが、祖父は「この子が口にして危ないものは辞める!」と、晩酌とたばこをきっぱり辞めました。
ただ、料理だけは地元のお酒を使い続けました。祖母は祖父に気遣って市販の料理酒に切り替えたのですが、どうやっても料理の味が落ちるので、早々に地元のお酒に戻したそうです。(キッチンの床下収納なら大丈夫だろうと、お酒は床下収納庫に保管されていました)
私の中の祖父は『甘い物が好きなおじいちゃん』でしたが、母より上の世代は『厳しい人』『威厳があって恐い人』というイメージがあるようで、お通夜ではその話で盛り上がりました。「お酒を飲んでいる時は甘い物なんて一切見向きもしない辛党で、威厳があり、恐い人だったのが、孫と一緒に甘い物を食べる(買いに行く)好々爺になったのは衝撃的だった」と上の年代の人が口々に言っていたのが印象的でした。近所の人にも「孫ができると人間こんなに変わるもんかね?」なんて言われたようですが、祖父は「誰が何と言おうと孫が一番!」と言い返していたそうです。
「味覚が変わって、孫と一緒に甘い物を食べれるのがおじいさんは楽しかったのよ。出先で『こういう物は食べるか?』『これは気に入るか?』一つ一つ確認しながら買っていたのよ」「あなたがまだ小さかった時にお酒で大変な目に遭わせてしまったから、おじいさんは『硬い物なんかで喉に詰めると大変だ』そう言ってよくプリンを買っていたの。それも『モロゾフなら同じ東灘区だから安心だろう』ってモロゾフのプリンばっかり」と祖母。
「おじいちゃんはプリンが好きだから、一緒にプリンを買いに行こう」
そう言う祖父と一緒にプリンを買いに行ったのは1回2回ではありません。祖父がプリンを買う理由は、祖母が言ったこと、祖父が私に言ったこと、両方なんだと思います。